名古屋2023:豪華キラキラの本丸御殿が見応え抜群!名古屋城

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2023年年末の名古屋旅の3日目は、朝ホテルをチェックアウト・荷物を預けてから、名古屋城へ行ってきました。

金のシャチホコでおなじみの天守閣は閉館中で入れず残念でしたが、本丸御殿が豪華キラキラ!優美な空間。見応え抜群でした。

今回は、2023年12月27日(水)に、名古屋城へ立ち寄った感想を書こうと思います。

名古屋城とは?

愛知県名古屋市中区にある特別史跡「名古屋城」は、金のシャチホコが輝く日本三名城の1つで、名古屋のシンボル的存在のお城です。

関ヶ原の戦いに勝利し天下人となった徳川家康が、慶長14年(1609年)豊臣方への備えや、江戸に直結する東海道の防衛のため、築城を決定。慶長15年(1610年)、豊臣方の財力を削ぐために、加藤清正・福島正則ら西国大名20家に土木工事を命じたそう。慶長20年(1615年)にはほぼ完成し、尾張初代藩主として家康の九男・義直が入城し、以降御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。昭和20年(1945年)の空襲で焼失する前の名古屋城は、天守閣・本丸御殿ともに城郭としての旧国宝第一号に指定されていたそう。

戦後、天守閣は鉄骨鉄筋コンクリート造で再建されましたが、その後半世紀以上が経過し設備の老朽化・耐震性の確保といった課題のため、2018年5月~閉館。2023年現在では、豊富な史資料に基づいた築城当時の木造の姿を蘇らせるために「木造復元事業」が進行しています。また本丸御殿は、2018年に10年に及ぶ復元工事が完了し、完全公開しています。

名古屋城へのアクセス

名古屋城へのアクセスは、電車(地下鉄・名鉄)・バス・車など。今回私は地下鉄でアクセスしました。

こちらが地下鉄名城線 「名古屋城」駅です。ここから徒歩5分ほどで、名古屋城の入口(東門)にアクセスできます。

金シャチ横丁(宗春ゾーン)

地下鉄名城線 「名古屋城」駅を出るとすぐに、「NAGOYA」のモニュメントや、「金シャチ横丁」の入口があります。

金シャチ横丁とは、新旧名古屋の味が集結した食のエンタメスポット。名古屋の食文化を発信する人気スポットで、コンセプトの異なる「義直ゾーン(正門側)」「宗春ゾーン(東門側)」の2エリアがあります。名古屋城駅から近いのは、東門側の「宗春ゾーン」のほう。

宗春ゾーンは、名古屋の文化振興を進めた尾張藩七代藩主・徳川宗春をテーマにしたエリアで、新進気鋭の食文化を発信する新しい名古屋めしのお店が7店舗並んでいます。

金シャチ横丁・宗春ゾーンを通って、名古屋城(東門)へ向かいます。この日は朝の9時半頃訪れたため、観光客もまばらで、のんびり歩くことができました。

名古屋城を散策

東門~二之丸エリア

まずは東門から二之丸エリアに入って散策します。

金シャチ横丁(宗春ゾーン)から、東門へ向かいます。東門の左側は工事中でした。

こちらが名古屋城の園内マップ、東門で観覧券(大人500円)を購入します。マップも観覧券もキンキラキンですね~!名古屋城の詳しい説明もありました。

東門から本丸エリアの間が「二之丸エリア」、庭園や茶庭がありますが、今回は立ち寄らず。

東門から本丸エリアに向かって二之丸エリアを歩くと、本丸エリア入口付近にある「東南隅櫓(とうなんすみやぐら)」が見えてきました。

本丸エリア入口付近の「清正公・石曳きの像」、天守の石垣工事をした加藤清正の像です。

巨石を運ぶにあたり、清正自ら石の上に乗って音頭をとったと伝えられているため、その様子を模しているそう。

本丸エリア

二之丸エリアから本丸エリアに入ります。

本丸エリア入口の「本丸表二之門(ほんまるおもてにのもん)」は、名古屋城創建当時の建造物で、重要文化財に指定されています。

本丸の南端にある築城当時のまま残存する門で、古名は「南二之門」と呼ばれていたそう。柱や扉に鉄板が張られた堅固な造り、門の左右の土塀には鉄砲を撃つための穴(鉄砲狭間)が開いていました。

本丸表二之門から入ってすぐ目の前には「本丸表一之門跡」がありました。

そして右側の「東南隅櫓(とうなんすみやぐら)」は、別名「辰巳櫓(たつみやぐら)」と呼ばれています。名古屋城創建当時の建造物で重要文化財。外観の屋根は二層・内部は三階の構造で、出窓には「石落し」を設け、かつて武具が納められていたそう。内部非公開なのが残念でした。

「本丸御殿(ほんまるごてん)」は、徳川家康の命により、慶長20年(1615年)に初代尾張藩主・徳川義直の住まい・政治を行う場所として建てられ、のちに将軍専用の宿館となりました。

本丸御殿の総面積は約3,100㎡、部屋数は30を超える平屋建ての建築物。昭和5年(1930年)には天守とともに国宝に指定され名建築として知られていましたが、昭和20年(1945年)の名古屋大空襲により焼失してしまいました。

しかし江戸時代に作成の「金城温故録」や309枚の図面が揃う「昭和実測図」・戦前の写真など多数の貴重な資料が残されていたため、平成21年(2009年)から復元着工し、平成30年(2018年)6月に全体完全公開。豊富な史資料に基づいた史実な復元で、見事な御殿建築を当時のままに、現代に蘇らせています。

本丸御殿では1047面の障壁画が重要文化財に指定されています。本丸御殿の造り内装ともにゴージャスそのもの!豪華さを極めたキラキラで優美な空間が広がっています。

本丸御殿への入館料は無料(名古屋城への観覧券は必要)、靴や荷物を預けてから内部を散策します。

こちらが名古屋城の本丸御殿・本丸御殿の復元手法についての説明書きです。復元された建物、色鮮やかな障壁画、そして金色に輝く飾金具が相まって、400年前の壮大な空間が蘇っているそう。

本丸御殿では、日本画史上最大の画派・狩野派の絵師たちの城壁画により、各部屋を美しくキラキラと飾っているのが特徴です。精密に復元模写され、植物・動物・風景など、部屋ごとに異なるテーマが描かれています。

本丸御殿を訪れた人がまず通されて取り次ぎを待つ場所が、こちらの「玄関」です。

古くは「遠侍(とおざむらい)」と呼ばれた建物。玄関とはいえ一之間(18畳)と二之間(28畳)の2部屋あり、一之間には床もあります。壁や襖には金地の障壁画「竹林豹虎図(ちくりんひょうこず)」が飾られ、勇猛な虎や豹描かれていたため「虎の間」とも呼ばれていたそう。これには権力を見せつけたり、来訪者を威圧する意図があったと考えられています。

上の写真は、一之間の竹林豹虎図です。

「表書院(おもてしょいん)」は、創建時に最大かつ最も格式の高い間として、正式に藩主と来客や家臣との謁見する際に用いられました。

江戸時代は大広間と呼ばれ、上段之間(15畳)・一之間(24畳半)・二之間(24畳半)・三之間(39畳)・納戸之間(24畳)の5部屋あり、早春・春・秋・夏それぞれの景色が描かれています。

上の写真は、春景色が彩られている上段之間。藩主の徳川義直が座る部屋で、正式の座敷飾りを揃えています。

寛永11年(1634年)三代将軍・家光の上洛にあわせて増築されたのが「上洛殿(じょうらくでん)」で、江戸時代は御書院・御白書院と呼ばれていたそう。

本丸御殿で最も格式の高い建物で、家光の御座所となった上段之間・一之間・二之間などが並んでいます。

上の写真は将軍の居室・上段之間で、室内の装飾は細部まで贅の限りが尽くされています。幕府御用絵師の加納探幽によって描かれた「帝艦図(ていかんず)」や「雪中梅竹鳥図(せっちゅうばいちくちょうず)」の障壁画・部屋の境の絢爛豪華な彫刻欄間・飾金具など、すべてが煌びやかでゴージャスそのもの。

しかしこれほど豪華に造られたのに関わらず、実は家光が一度泊まったあとは、ほとんど使われなったそう。もったいないですね~。

本丸御殿では、飾家具・天井・欄間など、匠の技が光る豪華な装飾を間近でじっくりと鑑賞できました。天井は奥に進むごとに豪華になっていくのが分かりやすい。

最後の写真は「名古屋城木造天守閣復元募金箱」。募金箱までキンキラキンでゴージャス!

本丸御殿を散策した後は、天守閣方面へ移動しました。

こちらの写真が名古屋城の「天守閣」「小天守閣」です。天守閣は、外観五重・地下1階・高さは石垣を含め55.6mあり、延べ床面積が江戸城や大阪城をも上回る史上最大の城郭です。

名古屋城は、昭和5年(1930年)築郭建築における初めての国宝に指定されたものの、昭和20年(1945年)名古屋空襲により本丸のほとんどを焼失しています。

その後、市民により名古屋のシンボルとして天守閣の再建を望まれたため、昭和34年(1959年)鉄骨鉄筋コンクリート造の天守閣を再建しました。外観は昭和実測に基づき正確に再現、内部では焼失を逃れた本丸御殿障壁画(重要文化財)や武具などを展示することで、名古屋城の歴史を紹介する博物館として機能していました。

その後半世紀以上が経過し、設備の老朽化・耐震性の確保といった課題のため、2018年5月~閉館。その後内部は公開されていません。

2023年現在では課題克服とともに、特別史跡名古屋城の本質的価値の理解を促進するために「金城温故録」や「昭和実測図」「ガラス乾板写真」など、現代に残された豊富な史資料に基づいて築城当時・木造の天守の姿を蘇らせるために「木造復元事業」を進めています。

名古屋城の天守閣といえば、てっぺんに輝く2体の金のシャチホコがシンボル的存在ですね。

金の鯱(シャチ)とは、海のシャチではなく「頭は虎・胴体は魚」の空想上の生き物です。水を呼ぶと言われることから、火除けのまじない・火除けの守り神とされ、室町時代から建物に飾る風習がありました。

名古屋城の金鯱は高さ約2.6mあり、築城当時は慶長大判1940枚分の金板で全身が覆われていたそう。これは当時の徳川家の権力・財力の大きさを象徴しています。

ちなみに写真左の南側がメス・写真右の北側がオスで、金鯱のサイズや重量・うろこの枚数など、それぞれ少し違っています。

天守閣の近くには2つの土産店「内苑売店」「本丸御殿ミュージアムショップ」があり、名古屋城や金シャチ・名古屋に関連した商品が多数揃っています。

本丸エリアを出るときは、こちらの「不明門(ふめいもん)」を通りました。

本丸北側と御深井丸エリアを繋ぐ門で、厳重に施錠されていたため「開かずの御門」と呼ばれていたそう。こちらも昭和20年(1945年)に焼失後、昭和53年に復元されています。

不明門から本丸エリアを出るとすぐに、石垣の修復をしている景色が見られました。長い年月を経て大きく変形し、危険な状態であった1,500㎡以上・4,000石を超える石垣を解体し、再び積み直すという20年以上に及ぶ大がかりな工事なんだそう。2004年~石垣を解体、2023年~石垣の積み直し工事を始めているようです。

本丸エリアを出ると、反対側からの天守閣を眺めることができました。雲と城の景色が美しい。

御深井丸エリア~西之丸エリア~正門

本丸エリアを出た後は、御深井丸エリア~西之丸エリア~正門に向かいます。

こちらは御深井丸エリアにある「乃木倉庫(のぎそうこ)」です。

明治初期に陸軍の弾薬庫として建設されたレンガ造りの倉庫で、名古屋鎮台に赴任経験がある乃木秀典大将にちなんで名付けられたそう。名古屋空襲前に、この倉庫へ本丸御殿障壁画を避難させて焼失を防いだことで知られています。内部非公開で、国登録の有名文化財です。

敵の侵入を防ぐための「剣塀(つるぎべい)」。大天守と小天守を連結する櫓台は、高い土塀で囲われて、塀の軒にぎっしりと鋭い櫓の穂先が並べられています。

西之丸エリア方面に向かうと「ヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)」という木がありました。日本では本州のごく一部の山地と、九州の対馬にのみ分布する珍しい樹木なんだそう。

なんじゃもんじゃ、って面白い名前ですね(我が家に同じ名前のカードゲームがあります)。

御深井丸エリア~西之丸エリアから見えた「西南隅櫓(せいなんすみやぐら)」。本丸エリア内に建っていて、別名「未申櫓(ひつじさるやぐら)」と呼ばれているそう。

規模構造は東南隅櫓と同じですが「石落とし」が西と南の二方向にあり、破風の形状も異なっているそう。大正10年(1921年)に災害により倒壊した後、名古屋離宮時代の大正12年(1923年)に宮内省により修復された名残として、鬼瓦に菊花紋が見られるのが特徴。3階建ての櫓で、内部は非公開、重要文化財に指定されています。

西之丸エリアにある「西の丸御蔵城宝館(にしのまるおくらじょうほうかん)」は、令和3年(2021年)11月に開館。国指定の重要文化財「名古屋城本丸御殿障壁画」をはじめ、名古屋城の文化財・所蔵品をさまざまなテーマのもとに公開しています。

今回訪れた際は「撮影禁止」の記載は見当たらず写真撮影していますが、念のためこのブログ記事を書く前に電話で確認したところ「展示内容・企画内容によっては撮影禁止」と言われたため、今回残念ながら写真の掲載は控えることにします。入館は無料なので、興味がある方は是非立ち寄ってみてくださいね。

西之丸エリアには、推定樹齢600年の市内唯一の国の天然記念物「名古屋城のカヤ」があります。

この木から成る「カヤの実」は、江戸時代中期まで藩主の御膳に出されていたそう。名古屋空襲時の消失は免れましたが、幹の北側には大きく焼け跡が残されています。名古屋城について最も詳しいのは、こちらのカヤかもしれませんね。

かつて国宝に指定されていた西之丸エリアの「正門」。戦災で焼失した後、昭和34年(1959)鉄筋コンクリート造りで再建されています。

地下鉄の駅からは東門の方が近いのですが、駐車場からはこちらの正門の方が近いため、車でのアクセスはこちらが便利ですよ。

金シャチ横丁(義直ゾーン)

正門を出て少し歩くと、金シャチ横丁の「義直ゾーン」に到着。名古屋発展の基盤を作り上げた尾張初代藩主・徳川義直をテーマにしたエリアです。

東門側の「宗春ゾーン」では新しい名古屋めしのお店が並んでいましたが、正門側の「義直ゾーン」では古くから愛される尾張伝統の味覚・なごやめしの老舗店など12店舗並んでいます。

お土産店「鯱上々」では、その名前のとおり、金シャチにまつわるお土産がたくさん。入口に実物大の大きな金シャチも置いてありました。

この日のランチは「山本屋総本家」で頂くことに。大正14年創業で、伝統の味を守り続ける味噌煮込みうどんが有名な老舗店です。

今回私は「玉子入煮込うどん(1,430円)」を、娘は「天ぷら付ききしめん(2,286円)」をオーダーしました。

名古屋といえば・山本屋といえば「味噌煮込みうどん」のイメージでしたが、個人的にはきしめんの方が好みの味でした~。びっくり。

名古屋城と周辺散策でかかった費用は?

今回、名古屋城とその周辺散策でかかった費用は、合計4,216円でした(交通費は除く)。
・名古屋城観覧券:500円(大人500円、中学生以下は無料)
・ランチ(山本屋総本家 金シャチ横丁店):3,716円
今回は、観覧券がかなり安かったのと、特に欲しいお土産が無かったため、それほどお金は使いませんでした。

最後に・・・

こちらの写真は、名古屋城内のとある場所で、じーっと日向ぼっこしていた猫さんです。

さて今回、金シャチ横丁(宗春ゾーン)~名古屋城~金シャチ横丁(義直ゾーン)での滞在時間は、4時間ほど。名古屋城だけで何歩歩いたか?は不明でした。

今回の名古屋城の見どころはなんといっても「本丸御殿」! キラッキラの豪華な空間は、目がチカチカ・頭がクラクラしてしまうほどに、ゴージャスでした。本丸御殿の中で最も格式の高い「上洛殿」は徳川家光が一度泊まった後にほとんど使われなかったそうですが、もしかするとキラッキラすぎてのんびり寛げなかったからかも?(これは庶民感覚ですかね。笑)

今回は、名古屋城の天守閣が閉館中で入れなかったのが残念でした。次回は天守閣が公開されてから訪れたいと思います。